モニターサービスを使ったらメリットだらけだった話
先日初めてモニターサービス「ファンくる」を利用しました。
モニターサービスとは、どこかのお店に対してレビューをする代わりにお会計を割り引いてもらうサービスのことです。
今回は覆面調査ということで、お店の人には調査していることは明かさずお店で食事をして、その後ネットでアンケートに答えました。
そこで感じたメリットと気付きがたくさんあったのでお伝えします。
食事代が安くなる
言わずもがな普通に食事するよりも、安くなります。私の場合は食事代60%還元(4000円まで)というお店での利用でしたので、今回元々6600円のお会計ですが、レビュー後3900円が返ってきました。ですので、「普通に飲み食い+アンケート」で2700円しか払っていないことになります。破格ですよね。
この還元率はお店によって様々で、お店によっては100%還元のところもあります。飲みに行く前にお店を決めかねていたら、還元率の高そうなお店に行ってみるのもアリかもしれません。
ここまでは、いわゆるレビューサービスを使って想定されるメリットです。ファンくるにもこのようなメリットが書かれています。
私が感じたメリットは、レビューを書くようになることで、普段何気なく食事していたお店の良さや改善点に目がいくようになる→つまり、お店や食事の良さをより感じやすくなるということです。
情けは人の為ならず。人の為にやった親切なことも自分に跳ね返ってきます。(今回レビューを書くことで得しようと思ったら思わぬ副次的効果があっただけなんですが)
詳しく話しますと、レビューには予めお店側からお店で見て欲しい観点が用意されています。
お店の雰囲気、料理の温かさ、スピード、接客などなど多岐に渡ります。ここはファンくるのサイトの良さですが、「先ほどのそれぞれの観点が100点満点中何点ですか。」「満点ならその理由、100点に満たない場合もその理由を書いてください」というものがあります。
自分も点数をつけてその理由をレビューして気づいたのですが、100点に満たない場合にはそれ相応の違和感があります。その違和感がなんなのか普通食事しただけではそれほど深くは考えませんが、「どうしてですか?」と聞かれることで自分自身深く考え始めるのです。そして、遡って深く考えることで自分の感覚や「何を持って良いとしているのか」が見えてきます。
例えば、料理が美味しいのに「この店を友達に紹介したいと思いますか?」の質問に私は50点をつけました。どうしてか考えてみると、お店でなんとなく居心地が悪かったこと、どうして居心地が悪かったかというと、ボックス席で隣の席の人と目が合ったり、会話が聞こえてきたりして、話しづらかったことが思い出されました。さらにお店の中でもほとんど無意識に「なんか(壁の装飾が)ごちゃごちゃしていてテイストがわからないね」と呟いていたことを思い出しました。そういった感覚が「友達に紹介したいかどうか」の50点に繋がっていたし、自分の無意識の満足度にも直結していたのです。
こういった感覚になるのは初めてでしたし、じゃあリピートしたくなる店とそうじゃないみせの違うところ、好きな店の好きなポイントってなんだろうと考えるきっかけになりました。
未経験の素人が外食産業について考えるコンサルタントのようになりましたが、外食をしたことがない人はいないと思いますので、みんな感覚や違和感を言語化すれば自分の感覚とその基準があることに気付かされると思います。それは、今までの経験を振り返ることにもつながりますし、これからのお店選びにもプラスになります。
終わりに、今回伺ったこちらのお店を始め、ファンくるのようなレビューサイトに登録して、よりお店を改善しようとするオーナーさんの柔軟性と謙虚さが素晴らしいなと思うところです。
ただ結局素人の感想です。お客さんも素人がほとんどだとは思いますが、レビューした人の考えが本質的かどうかはオーナーさんの基準で判断していただくことが必要かと思います。
というのも、さっき話したファンくるもアンケートの理由のところに「30文字以上」と字数制限を設けています。ポジティブな面では字数制限があることで、より詳しく書かなくてはいけないと感じますし、自分の考えを深掘りするきっかけになります。
しかし、ネガティブに考えると、書きたいことはないのに何か書かなくてはいけないということが、虚言とは言わないまでも誇張を生んでしまうことは避けられないと感じました。例えば、接客に問題はないのに、思いつきで浮かんだ観点で「もっと愛想よく接客して欲しい」と書いたことがそのまま従業員に伝わることで、従業員の100%の愛想が120%の愛想を求められるような事態です。
改善点が経営者の方に良い形で伝わり、お店にとってもお客にとっても、より良い方向で生かされたら幸いです。
30代になって、人生で初めてネンカクされた話
お久しぶりです、
ブログの書き方も忘れようとしていたこの頃。
30代になって初めてネンカクされました。
※ネンカクとは、、、
年齢確認の略。主にお酒やタバコを買うときなどに、20才になりたての大学生やベビーフェイスの大人が年齢を確認されて成人であることをお店の人に確認されること。(私的解釈)
そう、だいたいネンカクって20才なりたての頃にされるものじゃないですか。
かくいう私は幼い顔でもなんでもない顔なので、普通に確認される期間を過ぎ、人生でそういった期間は出現しないものだと思っていたんです。
が、30才を過ぎた今になってコンビニにてネンカクされてしまいました。
しかもそのコンビニも初めてではなく、まあまあ行きつけのアパート最寄りのコンビニ。店員のお兄さんも私のことを認知しているかなあと思っていただけに、最初はギャグかとも思ったのですが、ガチでした。
あるんですね、こういうことって。
まあマスク姿だったのもあると思いますが、
「年齢確認される=20才に達しているかどうか怪しい=10代に見える」
ということで、10才以上も若く見られたことは喜んでおきましょう。
以下、コンビニの店員さんとのやりとり。
お酒を持ってレジへ。
店員 ピッ「あのー年齢の確認できるものとマスクを外していただくようお願いします。」
私 「え?」(聞こえてたけど聞き返す。) 心の声「ギャグでしょ、、」
店員「年齢確認をお願いします。」
私「わかりました。。」 心の声「この後の展開目に見えてるよー」
運転免許証を差し出し、マスクをとる。1989年生まれの印字。どう見ても30過ぎたおっさん。
店員(2秒の沈黙)「・・失礼しました」
なんやねんこれ。という
即興のコントができました。同じ体験をしてみたい方は、マスクをして、若めのチャラチャラした服装をして、お酒かタバコを買ってみるといいかもしれません。
金メダルより嬉しいもの
体操日本代表の内村航平選手をご存知でしょうか。Wikipediaによりますと、
個人総合2連覇を含む7つのメダル(金メダル3、銀メダル4)を獲得。また、世界体操競技選手権でも個人総合での世界最多の6連覇を含む19個のメダル(金メダル10、銀メダル5、銅メダル4)を獲得している。
一人で何個メダル取ってるの?と言う感じの超人的な方なのですが、
幼い時の様子を取材したこの記事が忘れられません。
内容を要約しますと、メダルをいくつも取ってきたけど、幼い頃に初めて技ができた時の喜びを勝ることはない。その喜びを超えるものを探している、と言ったところでしょうか。
これ凄いなあと思うんです。
金メダルとか世界1位って誰しもがなれるものではないし、きっと内村選手も本当に血の滲むような努力をして、やっと達成できたことだと思うんです。
ですが、その境地に立ってもなお、今までで一番の喜びは「幼い時の初めての記憶」。
幼い時の喜びがその人に与える影響の大きさが強くわかる言葉です。
その場に出くわすことのできるお父さん、お母さん。
私たちにとってはちっぽけで、できて当たり前のことでも、その子にとっては金メダルよりも嬉しいものかも知れません。
そんな喜べる瞬間に出会えたら、一緒になって思いを共感できたらしあわせですね。
取材されるときに気をつけたいこと
にわかですが、最近テレビに取材されることがありまして。
と言っても私個人と言うよりは、私が所属しているところに取材が入って、たまたま私が取材を受けたと言うだけなのですが。
その時に感じたこととみなさんもこれから取材される時に気をつけて欲しいことがあるのでお伝えします。
1、取材される時にカメラ目線にならないか気にして、目線が浮きがち。
カメラを見つめすぎるとドラマの俳優を演じてるみたいだし、俯いてると暗い人なのかな?と感じられてしまいがちだし。
インタビュワーの方と話す感じでやりとりすれば自然なのですが、カメラの向こうの何万もの視聴者をイメージしすぎると上がってしまいがちです。
あくまでインタビューされている人と話をしているところを、誰かがみているそんなイメージで話せたら良いと思います。
2、取材の期待に応えようとすると、「こんなこと言ったら喜ばれるかな」という思いで答えてしまう。
きっとこの問題でこんな論を裏づけするために取材しにきたんだな→立場的にこんなこと言ったらテレビ局の人は助かるかな
の流れで、自分がさほど深く考えていないことも口走りがちです。
ましてや、編集でいい部分だけ切り取られて、いいように使われがちですから、適当なことを言うと代弁者のようになってしまいます。
毎日いつも自分の立場をもって、その根拠を明らかにしておくことはほぼ不可能ですので
せめて、取材が入ると言われた時点で、自分はどんな立場でなぜそう思うのか、どんなことに困っていて、そしてどうなって欲しいのか
ぐらいは考えておくと良いです。
どれほど強く思っていたとしても、それを言葉で伝えるのは難しいですし、伝えたいメッセージがそのまま報道されるのも稀有なことですし。
そう考えると、慣れが大半だとは思いますが、コメンテーターや生放送で意見を話せるアナウンサーは本当に凄いなと感心してしまいました。
イライラは高いところから低いところへ流れるよ
みなさんバタフライエフェクトってご存知ですか。
映画にもなりました。
日本でいうと「風が吹けば、桶屋が儲かる」といったところでしょうか。
一見、関係ないように思えることでも巡り巡って、思いがけない結果をもたらすというような意味です。
バタフライエフェクトの方は、地球の裏側でちょうちょが一つ羽ばたいたことが、地球の裏側では大きな風となって訪れる。というような意味です。
根拠は薄くとも、直接的でない働きかけや人の行動が巡り巡って、相手に届くあたりに縁を感じて好きな言葉です。
と、タイトルの内容に入りたいと思います。
イライラは高いところから低いところへ?
イライラした気持ちもバタフライエフェクトのように、自分では思いがけないところへ運ばれていることをお伝えします。
例えば、上司が夫婦喧嘩をして、イライラした状態で職場へとやってきます。
もちろんイライラしていますので、ミスも多くなったり、逆にミスをした部下への当たりも強くなったりします。
ミスをしたことを叱責された部下はそれを家に持ち帰って、イライラ。奥さんへ当たります。
当たられた奥さんは、そのイライラを子どもへぶつけます。
理不尽に怒られた子どももムシャクシャ。
その次の日、登校してクラスの弱い子へいじめを始めます。
一例ですが、風が吹いた時の桶屋のように、イライラした気持ちが上の立場から下の立場へ流れていっているのがお分かりいただけたかと思います。
もちろん流れている段階で、そのイライラは増幅されたり、形を変えたりしています。
自分がイライラしたことは、誰かから受け渡されたイライラかもしれないこと。
そして、そのイライラはあなたの周りの人へもまるで感染症のように伝染していくということ。
そのことを心に留めておいて欲しいです。
かくいう私もイライラの連鎖を断ち切れず。何ならイライラメーカーになりがちですが、
イライラを渡してしまう前に、「もし今、完全に満ち足りた状態でも自分は同じように、同じことをするか」自分に聞いてみてください。
イライラする感情は自然なものですし、ある意味イライラしてしまうことは仕方ないです。それだけ嫌なことがあった証拠ですから。
自分の感情をなかったことにしようとすると、自分の存在自体の否定につながり、非常に精神衛生上悪いです。
自分の負の感情は自分で認めてあげつつ、たまに趣味や違うことでガスを抜きつつ。
「イライラしたくてイライラしてるんじゃない!」
わかります。確かに、誰かが出っ張れば、誰かがへっこむ。
誰かが楽をしたり、得をしたりしているときに、誰かは辛かったり、損をしたりしていることがよくあります。
誰かのために引き受けたイライラだってあるでしょう。
食い止めたいのはイライラの連鎖。特に高いところから低いところへ流れるイライラの感情です。
自分の感情は自分で認めて、ガス抜きしながら、連鎖を断ち切る。
そんなかっこいい自分どうでしょう。
久々に再開された中学校の部活動※夢です
※以下、冒頭の話は私が先ほど見た夢の内容です。
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新型コロナの影響で部活動はずっと延期になっていたが、僕は久しぶりに中学校のグラウンドに立って、
野球部の友達と集まっていた。ちょうど今日は練習試合らしい。相手のピッチャーは下級生だけど、とても将来性があるらしく、他校でも僕ら上の学年の生徒もなぎ倒してきたらしかった。
しかし、かのぼくは、意気込むも打順が回ってこない。
そうだ。ぼくは中学校から野球を始めたから控え選手なんだ。その下級生投手に手も足も出ない友達。焦る自分。
いても立ってもいられずに、監督の先生にオーダーをもう一度聞くも、オーダー表には自分の名前はそこにはない。むしろベンチ入りもしておらず、バッターボックスにも立てずに終わってしまうのだった。
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なんだか現実と夢と現在と過去が混ざり合った変な夢でしたが、見終わってふと思い出したことがあります。
それは、中学校の部活動野球部での決して「楽しい」だけとは言えない経験とその後の自分の人格形成の話についてです。
野球部に入る子の大体は、小学生の頃から休みの日に学校のグラウンドを使って練習や試合をしている少年野球団に所属していました。私は、両親共働きだったこともあり、休日は動けない親の影響で、入りたかったにもかかわらず、休日のスポーツ経験がありませんでした(人によっては、野球やサッカー、バスケ、剣道等やっている子も多くいましたが。)
そして、この運動経験は見事にスポーツテストやクラスのドッジボールの強さとも比例していて、運動経験の少ない私は真ん中より少し下。スポーツテストのレベルで言うと、良くてもABCDEの5段階のうち、D級くらいの運動能力でした。(Aが一番上)
もちろん当時は、それほど深刻にも思いませんでしたが、自分はそれほど運動は得意ではないのだなと、生まれながらに決められた遺伝子レベルでの運命を受け入れようとしていました。
そして、中学校に入学します。
何かしら運動系の部活動には入りたいと思っていましたので、野球部に入ることを決めましたが、小学校から少年野球団に入っていた子との実力差は歴然。
ゲッツーやフィルダースチョイスの言葉の意味はパワプロ(実況パワフルプロ野球と言う野球ゲーム)を通して知っていたものの、バッターボックスはストライクゾーン側ギリギリで立つなんてことやヒットを打ったら、一塁の上にピタッと止まらず少し走り抜けるなんて実地の暗黙ルールのことも初めて打席に立つまで全く知りませんでした。
2つ上の先輩が引退した後、代替わりのタイミングで一個上の先輩の代のレギュラーに抜擢されると言う大抜擢もありましたが、上にあげたような運動に対する捉え方と野球に対する自信の無さから、
「何かの間違いに違いない」
とばかり考えていました。それに加えて、小学生から野球をやっていた同級生たちのやっかみの混じったいじめを受けて、どんどん萎縮していった私は、試合でもミスを重ねて、
「どうやったらレギュラーから下ろしてもらえるか」
「みんなから嫌われないようにするためにはどうしたら良いか」
ばかり考えていたように思います。
その後、見事に念願かなってレギュラー落ちが決まるのですが、その後も活躍して目立つと嫌われるかもしれないから目立たないように。と言う感情と、
練習してうまくなって活躍したいと言う感情が渦巻いていたように思います。
中学校の部活動はそんなこんなで、相反する葛藤を自分の心の中に抱えて、結局レギュラーには慣れずにベンチのまま最後の試合を迎えました。しかも最後の試合は今日見た夢と同じようにベンチ入りも許されず、大会役員補助というなんともあっさりな幕切れでした。
今思うと、大抜擢された友達を妬みからいじめていた友達もひどいですが、 何よりも自分のことをできないと決めつけて、挑戦と成長をできないようにしていた自分が何よりも大きな阻害要因だったと思います。
その後、高校・大学と違うスポーツの道を選び、見事そこでは活躍することができました。(マイナーなスポーツだったため、高校から始める子がほとんどで、上述のようなスタートした時点での実力差はほぼ皆無でした。)
しかし、そこでも負けるといつも “誰の” “どこが” 悪かったか、と粗探しをするようなところがあり、(そういう意味じゃ良いチームに恵まれていないのかもしれません泣)いつもうまくいかないときには、自分が悪くないか恐れてしまったり、チャレンジして失敗することを恐れたりしてしまうのはその時の経験による人格形成が大きいのではと思っています。
大学生になると、もはやサークル活動が主流でほとんど運動していない人が多数派でしたので、体育会系に所属していた私の存在は小学生の頃でいったら、クラスの中のスポーツテストA級の出現度でした。(というか不思議と実際にスポーツテストは高校2年ぐらいからずっとAになっていました。)その当時言われた言葉で忘れられないのが、大学事務の方に
「運動ができていいわねえ、運動が苦手でできない人の気持ちなんてわからないでしょう」
と言われたことです。
「いや、めちゃわかります。」
そう言いましたが、本当に運動できない人の気持ちはわかっていないかもしれません。ただ、上にあげた自分の中高時代の苦悩や努力まで無かったことにされたような気がして、とてつもなく悲しくなったことだけは覚えています。
自分のことを書いていたら、だいぶ長くなりました。
今回のこの記事で伝えたかったことをまとめます。
1、幼少期(ここでいう小学生時代)の運動経験は、中学時代あるいはそれ以降の運動能力に大きな影響を与えるのみならず、「自分はできる」という自己肯定感を身に付けることにも大いに関係している。
もちろん私は高校時代に練習した結果、うまくいったからその後の自己肯定感を育むことに繋がりました。運動ができない子が挑戦したら、より自己否定につながった可能性もあります。運動が苦手なら自分の好きな、違うことでもいいと思います。
ただ、スポーツだけが全てじゃ無いと思いますが、小学生時代のドッジボールや鬼ごっこ、運動会のリレーの選手の注目度を見ると、学生時代にスポーツができる子が優位なのは間違いありません。
2、できないことも苦手なことも続けたらできるようになる。
小学生時代、スポーツテストD級だった自分が高校時代にはA級になっている。生まれながらにして遺伝子レベルで運動ができないと思っていたのに、不思議な話ですが、苦手な運動は、運動していたらできるようになっていました。
「たまたま自分ができただけでしょ」そう思う人もいるかもしれません。
確かに、運動が苦手。絶望的にできない。そういう人もいるでしょう。
ですが、私の見てきた限り、みんな少なからず初めより上手くなります。ですから、できるできないは、できるまでの時間の早さの問題だと私は思います。
得意な人はすぐできるかもしれないけれど、苦手な人はその人の2倍、3倍時間がかかる。あるいはもっと時間がかかって、学生時代に習得できないかもしれません。でも、やり続けたらできるようになるんです。
概念的で、宗教みたいな話ですけど、自分が経験したからこそ、これは言えます。
自分で自分のことを信じれて、できるまで続けられるか。
できるようになる秘訣はそこにあります。
最後に、夢占いの話を。
夢で見た内容は現実世界の感情を表しているらしいです。
例えば、私は崖から落ちる夢をたまに見るのですが、それは、大きな環境の変化に対する不安や、日頃のストレスを表しているそう。笑
今回の活躍したいと思っても、その場(=バッターボックス)が十分にない(=レギュラーでもなければ、ベンチでもなく試合の出場ができない)状況は確かに当てはめてみると、現在の現実生活を表しているとも言えそうです。
みなさんも、自分の過去の経験や夢から、今の自分の性格や考え方を見つめ返してみてはいかがでしょう?
鎌倉に行くなら絶対行くべき絶品グルメ! ①
以前、こちらの鎌倉ドライブについてのブログを書きました。
今回はその鎌倉にある魅力的なグルメについてオススメしたいと思います。
1、珊瑚礁のカレー
鎌倉でカレーといえばこちら。
もはや、日本で一番美味しいカレーと言っても過言ではないかもしれません。
近いところに珊瑚礁 本店とモアナマカイ珊瑚礁の2店舗がありますが、私のオススメは断然本店です。
というのも、本店にしかないビーフカツがふんだんに乗ったカレーがあるからです。モアナマカイ珊瑚礁にも限定のカレーがありますので食べ比べるのもいいですね。
こちらの珊瑚礁さんはスパイスの中にもただ辛いだけではないコクのあるカレーがボリュームたっぷりに食べられるのが特徴ですが、そこに乗っているトッピングの大きさも魅力の一つです。様々なトッピングがありますが、私はいつも本店限定のビーフカツを頼んでいます。牛カツだけでも都内で食べたら2000円はしそうですが、こちらはたっぷりのカレーとともに頼んでも1700円と、コスパも良いです。
もちろん野菜が食べたい、あるいはトッピングにはこだわらないという方は、違う種類のカレーもたくさんありますのでそちらもどうぞ。どちらにせよボリュームはたっぷりです。(ご飯少なめで100円割引の制度も利用できます!それでも女性は食べきれないくらいの量ですが。ありがたい。)
それから、私は頼んだことがないのですが、ドライカレーはそれだけで商品になるほど人気だそうです。私もいつか試そうと思っています。
さらにさらに、サイドメニューも充実しています。
どれもとても美味しいのですが、私がいつも頼むのはこちらも商品化されているガーリックポテト。
こちらも食べきれないくらい量があります。鎌倉に簡単にいけない方は、こちらで雰囲気を味わってみてください。(かなりニンニク臭が強いので人と会うご予定のある方はお気をつけを)
こちらもオススメサラダですが、もはやカルパッチョ食べてるくらいの海鮮感!
このようにサイドメニューまでも充実している珊瑚礁オススメです。
しかし、一つ難点としては混雑すること。
下手すると2時間くらい待つことも。これは有名店の宿命ですね。
しかし駐車場はたくさんありますし、冬場には外用のストーブや無料のホットコーヒーも振る舞ってくれていてお客さん思いの素晴らしいお店です。
ここだけのマル秘情報としては、本店が月曜定休日なのですが、月曜が祝日の場合は振替で営業していますので、比較的お客さんも少なく、普段ほど並ばずに入れますので、ぜひ月曜祝日で狙ってみてください!