久々に再開された中学校の部活動※夢です
※以下、冒頭の話は私が先ほど見た夢の内容です。
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新型コロナの影響で部活動はずっと延期になっていたが、僕は久しぶりに中学校のグラウンドに立って、
野球部の友達と集まっていた。ちょうど今日は練習試合らしい。相手のピッチャーは下級生だけど、とても将来性があるらしく、他校でも僕ら上の学年の生徒もなぎ倒してきたらしかった。
しかし、かのぼくは、意気込むも打順が回ってこない。
そうだ。ぼくは中学校から野球を始めたから控え選手なんだ。その下級生投手に手も足も出ない友達。焦る自分。
いても立ってもいられずに、監督の先生にオーダーをもう一度聞くも、オーダー表には自分の名前はそこにはない。むしろベンチ入りもしておらず、バッターボックスにも立てずに終わってしまうのだった。
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なんだか現実と夢と現在と過去が混ざり合った変な夢でしたが、見終わってふと思い出したことがあります。
それは、中学校の部活動野球部での決して「楽しい」だけとは言えない経験とその後の自分の人格形成の話についてです。
野球部に入る子の大体は、小学生の頃から休みの日に学校のグラウンドを使って練習や試合をしている少年野球団に所属していました。私は、両親共働きだったこともあり、休日は動けない親の影響で、入りたかったにもかかわらず、休日のスポーツ経験がありませんでした(人によっては、野球やサッカー、バスケ、剣道等やっている子も多くいましたが。)
そして、この運動経験は見事にスポーツテストやクラスのドッジボールの強さとも比例していて、運動経験の少ない私は真ん中より少し下。スポーツテストのレベルで言うと、良くてもABCDEの5段階のうち、D級くらいの運動能力でした。(Aが一番上)
もちろん当時は、それほど深刻にも思いませんでしたが、自分はそれほど運動は得意ではないのだなと、生まれながらに決められた遺伝子レベルでの運命を受け入れようとしていました。
そして、中学校に入学します。
何かしら運動系の部活動には入りたいと思っていましたので、野球部に入ることを決めましたが、小学校から少年野球団に入っていた子との実力差は歴然。
ゲッツーやフィルダースチョイスの言葉の意味はパワプロ(実況パワフルプロ野球と言う野球ゲーム)を通して知っていたものの、バッターボックスはストライクゾーン側ギリギリで立つなんてことやヒットを打ったら、一塁の上にピタッと止まらず少し走り抜けるなんて実地の暗黙ルールのことも初めて打席に立つまで全く知りませんでした。
2つ上の先輩が引退した後、代替わりのタイミングで一個上の先輩の代のレギュラーに抜擢されると言う大抜擢もありましたが、上にあげたような運動に対する捉え方と野球に対する自信の無さから、
「何かの間違いに違いない」
とばかり考えていました。それに加えて、小学生から野球をやっていた同級生たちのやっかみの混じったいじめを受けて、どんどん萎縮していった私は、試合でもミスを重ねて、
「どうやったらレギュラーから下ろしてもらえるか」
「みんなから嫌われないようにするためにはどうしたら良いか」
ばかり考えていたように思います。
その後、見事に念願かなってレギュラー落ちが決まるのですが、その後も活躍して目立つと嫌われるかもしれないから目立たないように。と言う感情と、
練習してうまくなって活躍したいと言う感情が渦巻いていたように思います。
中学校の部活動はそんなこんなで、相反する葛藤を自分の心の中に抱えて、結局レギュラーには慣れずにベンチのまま最後の試合を迎えました。しかも最後の試合は今日見た夢と同じようにベンチ入りも許されず、大会役員補助というなんともあっさりな幕切れでした。
今思うと、大抜擢された友達を妬みからいじめていた友達もひどいですが、 何よりも自分のことをできないと決めつけて、挑戦と成長をできないようにしていた自分が何よりも大きな阻害要因だったと思います。
その後、高校・大学と違うスポーツの道を選び、見事そこでは活躍することができました。(マイナーなスポーツだったため、高校から始める子がほとんどで、上述のようなスタートした時点での実力差はほぼ皆無でした。)
しかし、そこでも負けるといつも “誰の” “どこが” 悪かったか、と粗探しをするようなところがあり、(そういう意味じゃ良いチームに恵まれていないのかもしれません泣)いつもうまくいかないときには、自分が悪くないか恐れてしまったり、チャレンジして失敗することを恐れたりしてしまうのはその時の経験による人格形成が大きいのではと思っています。
大学生になると、もはやサークル活動が主流でほとんど運動していない人が多数派でしたので、体育会系に所属していた私の存在は小学生の頃でいったら、クラスの中のスポーツテストA級の出現度でした。(というか不思議と実際にスポーツテストは高校2年ぐらいからずっとAになっていました。)その当時言われた言葉で忘れられないのが、大学事務の方に
「運動ができていいわねえ、運動が苦手でできない人の気持ちなんてわからないでしょう」
と言われたことです。
「いや、めちゃわかります。」
そう言いましたが、本当に運動できない人の気持ちはわかっていないかもしれません。ただ、上にあげた自分の中高時代の苦悩や努力まで無かったことにされたような気がして、とてつもなく悲しくなったことだけは覚えています。
自分のことを書いていたら、だいぶ長くなりました。
今回のこの記事で伝えたかったことをまとめます。
1、幼少期(ここでいう小学生時代)の運動経験は、中学時代あるいはそれ以降の運動能力に大きな影響を与えるのみならず、「自分はできる」という自己肯定感を身に付けることにも大いに関係している。
もちろん私は高校時代に練習した結果、うまくいったからその後の自己肯定感を育むことに繋がりました。運動ができない子が挑戦したら、より自己否定につながった可能性もあります。運動が苦手なら自分の好きな、違うことでもいいと思います。
ただ、スポーツだけが全てじゃ無いと思いますが、小学生時代のドッジボールや鬼ごっこ、運動会のリレーの選手の注目度を見ると、学生時代にスポーツができる子が優位なのは間違いありません。
2、できないことも苦手なことも続けたらできるようになる。
小学生時代、スポーツテストD級だった自分が高校時代にはA級になっている。生まれながらにして遺伝子レベルで運動ができないと思っていたのに、不思議な話ですが、苦手な運動は、運動していたらできるようになっていました。
「たまたま自分ができただけでしょ」そう思う人もいるかもしれません。
確かに、運動が苦手。絶望的にできない。そういう人もいるでしょう。
ですが、私の見てきた限り、みんな少なからず初めより上手くなります。ですから、できるできないは、できるまでの時間の早さの問題だと私は思います。
得意な人はすぐできるかもしれないけれど、苦手な人はその人の2倍、3倍時間がかかる。あるいはもっと時間がかかって、学生時代に習得できないかもしれません。でも、やり続けたらできるようになるんです。
概念的で、宗教みたいな話ですけど、自分が経験したからこそ、これは言えます。
自分で自分のことを信じれて、できるまで続けられるか。
できるようになる秘訣はそこにあります。
最後に、夢占いの話を。
夢で見た内容は現実世界の感情を表しているらしいです。
例えば、私は崖から落ちる夢をたまに見るのですが、それは、大きな環境の変化に対する不安や、日頃のストレスを表しているそう。笑
今回の活躍したいと思っても、その場(=バッターボックス)が十分にない(=レギュラーでもなければ、ベンチでもなく試合の出場ができない)状況は確かに当てはめてみると、現在の現実生活を表しているとも言えそうです。
みなさんも、自分の過去の経験や夢から、今の自分の性格や考え方を見つめ返してみてはいかがでしょう?